さっぽろわくわく商店街


由来・日因縁・ミニヒストリー


商店街の歴史をシリーズでお届けいたします
■■ 第33回 新琴似一番商店街振興組合 ■■

「新琴似一番商店街」とは北区新琴似1番通7丁目〜11丁目の商店街です。

◆新琴似地区のあゆみ
 新琴似に屯田兵が入植したのは明治20年(古兵)と21年(新兵)のこと。この開拓者たちが寝食をとったのは木造平屋1戸建てで、東北、北陸地方の農家がモデルのようです。
 人跡未踏の新琴似開拓にやって来た第一陣は、九州の士族を中心に146戸で、「新琴似の川にはサケやマスなどがあふれている。原始林には5円、10円の紙幣がぶら下がっており、これは切った者の所有になる」──屯田兵徴募官のこんな話を聞かされた旧士族が、九州のとある港から御用船「日の出丸」に乗って、小樽に着いたといいます。
 ハルニレ、ヤチダモ、センノキ、ハンなどがうっそうと茂る密林の中、割り当てられた4万6千平方メートルの土地に、ポツンと建てられた兵屋(家屋)に入ってみれば、家財道具の大半は完備されていたが、あまりの生活の変わりように人々は思わず落涙したという。
 いつクマに襲われるかも知れない密林の中、はじめて手にするオノやノコで、自然との戦いに全身をなげうった。この年の召募年齢は18歳から35歳。人員の充足を急いだため、かなりの年の人も戸籍を適当に訂正して合格させたといいます。

■札幌市北区ホームページ「北区のエピソード史」より

▲このページのTOPへ

◆新琴似一番商店街振興組合の発足
明るい街路灯

明るい街路灯
 新琴似一番商店街振興組合の前身は昭和53年に、任意の「新琴似一番通り西商店会」として十数人でスタートし、親睦を主体とした会で、海水浴や観楓会などの行事を行い、町内会の盆踊りや、バザーのお手伝いなどを通じ町内の方々とのふれあいを深めていました。のちに仲間も増え名称を「新琴似西商工会」と改名し、いろいろな行事を行っていました。
 昭和63年にイトーヨーカドーの出店問題が起こり、このままの商工会では一番通りの活性化が遅れるとの危機感から法人化を目指し「新琴似一番商店街振興組合」が誕生しました。
▲このページのTOPへ
新琴似一番通りの結束
第1回サマーフェスティバル

第1回サマーフェスティバル
 新琴似一番商店街振興組合設立最初のイベントは『サマーフェスティバル』でした。
従来町内会の盆踊り、バザーの手伝いとは違い、商店街独自の行事としてのお祭りはこれが初めてでした。
 12時間マラソンソフトボール大会、ゲートボール大会、綱引き大会、ミス新琴似一番コンテスト等、大変大掛かりなイベントでしたが以後このお祭りが地域の『ふるさと夏まつり』として定着しました。
 また、暗くて物騒な一番通りに「明るい街路灯」をつけようという取り組みを行った結果、今では札幌市内でも特に明るい通りとして知られるようになりました。
 このように一番通りの活性化、地域の発展、ふるさとづくりなど、地域の核としての商店街を目指し、新たなる商店街発展の道を志向して商店街活動に取り組んできました。
■創立10周年記念誌(平成10年発行)「下村理事長のご挨拶」より抜粋
▲このページのTOPへ
◆新琴似一番商店街振興組合の現在
ふるさと夏まつり

ふるさと夏まつり
 現在の新琴似一番商店街振興組合の活動は、イベントの開催が主なもので、今なお多くの人出がある「新川ふるさと夏まつり」は今年も大盛況でした。
 創立10周年記念誌によると、平成5年のこと、春のイベントとして地域住民を交えたお花見を開催しようと企画し、花見用の桜の木を業者に手配したところ、届いたのは苗木。これは困ったと思案していたところへ成木3本を提供してくれた組合員さんのお陰で無事お花見の開宴となったというエピソードがあります。このときも大勢の地域住民が集まったといいます。
 このように、新琴似一番商店街が掛け声を発すると地域住民が一致団結する求心力には目を見張るものがあります。常に地域住民あっての商店街づくりを志向して、町内会などとの連携を密にした活動が原動力となっているのでしょう。
 今年から3ヵ年計画で、商店街を芝桜で飾ろうという取り組みが始まりました。
 芝桜が街のシンボルとなって札幌市民からも注目される商店街として、さらなる発展を目指している新琴似一番商店街をわれわれもPRして応援してゆきます。
▲このページのTOPへ
■バックナンバー一覧へ



 
〈トップページにもどる〉
 

札幌市商店街振興組合連合会
〒060-0063 札幌市中央区南3条西3丁目15番地 竹内ビル6階 011-261-9586
Copyright 2008 Sasshinren, All rights reserved.