さっぽろわくわく商店街


由来・日因縁・ミニヒストリー


商店街の歴史をシリーズでお届けいたします
■■ 第30回 札幌四番街商店街振興組合 ■■

「札幌四番街商店街振興組合」とは、北は南大通りから南4条通り(すすきの交差点)までの西3丁目と西4丁目(通称:西4丁目通り)エリアです。

◆四番街の創成期
戦争直後の西四丁目通り

戦争直後の西四丁目通り
中央の建物は四丁目プラザ
 明治2年11月、札幌府創建のため札幌入りした主席判官島義勇が南大通西4丁目に仮小屋を建て、ここを中心に青写真を作成しました。明治4年頃には大通り以南は商業地として開発され、明治13年、札幌駅が建設されると現在の札幌駅前通りは急激な勢いで札幌の繁華街の中心となり、卸売商店が軒を連ねるようになりました。
 明治14年に明治天皇の巡幸を機会に街の通りの名称を京都にまねて現在の「条丁目」に改正し、それまで「虻田通り」と呼ばれていた現在の札幌駅前通りは「西四丁目通り」と呼ばれるようになりました。
 四番街20年誌(昭和58年発行)によると、「敗戦後の国内経済情勢の窮迫は、すべての企業を圧迫し、特に私どもの街に多数を占める商店経営者は、金融、税務の板ばさみになり、非常な悪条件下にあったのですが、これをよく克服して今日に至るを得ました。」とあり、市内の各商店街の積極的な活動に刺激され、昭和25年になって札幌駅前通りに三つの振興会が誕生しました。

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◆北海道で最初の商店街振興組合
昭和38年拡幅前の駅前通り

昭和38年拡幅前の駅前通り
 三振興会のなかの南大通りから狸小路までの商店からなる「四丁目振興会」と、狸小路から南4条通りまでを会員とした「中心街振興会」が大同団結し、昭和38年8月に『札幌四番街商店街振興組合』が発足されました。
 昭和37年に制定された「商店街振興組合法」に基づき、北海道で最初に設立されたのが『札幌四番街商店街振興組合』です。(商店街振興組合は、一定の小売商業地域において事業を営む者の全てをもって組織し、共同経済事業と環境整備事業のみを併せ行うということで、いわゆる共同経済事業のみを行う事業協同組合とは異なる事業内容をもつものです。)
◆国際都市・札幌の顔
36mの道路拡幅で後退した駅前通り

36mの道路拡幅で
黄色線まで後退した駅前通り

 昭和7年に三越が開店されると札幌駅前通りの様相が一変され、昭和24年に告示された札幌市の都市計画により、西4丁目通りの道路幅員を36メートルにするという大きな問題に直面しましたが、昭和47年の冬季オリンピック札幌大会の開催目前の昭和46年12月、四番街商店街としては会員の犠牲をも受け入れ、「国際都市・札幌の顔」としての四番街商店街となるべく札幌市の計画実行に協力することで一致団結し、道路拡幅反対を断念、36m道路が完成されました。 
 これを契機に西四丁目通りは車両の往来が激しくなり、当時の川人理事長の「ひと時でも車から解放された広場になれば市民にもっと気軽に散策を楽しんでもらえるのでは」との発案から市との交渉が始まり、初めての試みで難題も多かったものの熱意が実を結び、四番街商店街エリアに札幌初の『歩行者天国(プロムナード)』が誕生しました。第一回を飾るイベントは札幌交響楽団による野外演奏会でした。札響は当時、野外のましてや路上での演奏会を開催した試みは無く、札幌市をあげての一大イベントの様相でした。
 以来、四番街は歴史に名を残す数々のイベントを発信してきました。昭和49年には市民参加のパレード「四番街サマーフェスティバル」や、夏まつりのオープニングに「さっぽろマーチングフェスティバル」、「四番街ミュージックカーニバル」など従来札幌にはなかった音楽を主体とした新しいタイプの祭りが創られ、現在では北海道を代表する夏の一大イベントとなった「よさこいソーランまつり」も第1〜6回は、ここ四番街がメイン会場でした。
札響初の野外演奏会

札響初の野外演奏会
<四番街歩行者天国>

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◆常に時代をリードする存在
埋め込み式信号機

足元に映える
埋め込み式信号機

 設立以来札幌市の中心商店街として、ポートランド市モール205と姉妹提携するなどの商店街活動の他、環境整備にも積極的に取り組んできました。
 南一条の四丁目十字街スクランブル交差点も、組合の取り組みの成果によるものですが、そのスクランブル交差点から縁石を取り除き、信号機を埋め込むという画期的な提案が出されたのも札幌四番街商店街振興組合によるものです。
 人間は上を見ながら歩くのは不向きなもの、特にお年寄りや子供は尚のこと、との発案で実現した信号機は費用の一部を協賛し、昭和58年9月に歴史的誕生を果たしました。
 四代目理事長の川人宇三美氏は「商店街の発展は町の発展のバロメーターと昔から言われているように、私自身もそれを信条として、決して地域エゴがあってはいけないと戒め、道路拡幅から埋め込み信号機までどれをとっても官民一体の協力の賜物」と感謝の念を記しています。四番街商店街はかつて「西四丁目通り」と呼んでいたのを、市民の方に分かりやすく、親しみやすいようにと市内では初めて『街』をつけ”四番街”とし、「市民はもちろん外からのお客様を誇りをもってお迎えできるショッピングモール四番街でありたい」を合言葉に札幌の顔となる街づくりを使命として今日へと継承してきました。
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◆札幌四番街商店街振興組合
昭和49年ミュージックカーニバル

昭和49年
ミュージックカーニバル


昭和50年市民音楽祭

昭和50年第1回市民音楽祭

現在の四番街

現在の四番街
南4条から北向きの眺め
 「四番街はいつも文化と音楽の香りが漂う街」をテーマに街づくりを提唱してきた商店街だけに、映画館や書店が札幌駅周辺地区に集中している現実を危惧する声が、商店街のみならず市民の中からも、一極集中は不便との意見として聞こえてきます。
 昭和の時代をリードして、政令指定都市札幌の名に相応しい街づくりを牽引してくれた札幌四番街商店街振興組合の第二章は今、脈々とうねりをあげるべく序章段階にあります。
 【イベント発信基地「四番街」】は昨年、夏のバーゲンセールから「共通お買い物券」を発行し、これまでに例のない個々のお店の垣根を外した取り組みで、大通地区として集客を狙う攻勢にでました。今年は初売りを元日に繰り上げたセールでも、この「共通お買い物券」が人気を得て大盛況でした。
 また、夏の「四番街まつり」では四番街商店街歩行者天国となる36m道路まるごと縁日なる『街が縁日する」と銘打った、プロレスあり、大道芸あり、フラダンス、アート広場、チャリティーあり等等のイベントが2日間繰り広げられます。
 こうした全国的にも稀な取り組みを次々と実行する四番街には目を見張るものがあります。
 4年後に控えた駅前通りの地下通路開通を見据えた更なる四番街の仕掛けを、いち消費者として期待せずにはいられません。
 かつての札幌経済を象徴するようなスケールの大きなイベントが、またこの街に還ってくるのでしょうか。36m道路いっぱいにパレードする勇壮なイベントがこの街には似合っていると、この写真を見るに付け思わずにいられません。
 36m道路から始まった札幌四番街商店街振興組合は、地下通路から大勢の人々を引き連れて再びこの街を埋め尽くすのでしょうか。
 四番街は何かやってくれる。必ず・・・。
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