さっぽろわくわく商店街


由来・日因縁・ミニヒストリー


商店街の歴史をシリーズでお届けいたします
■■ 第17回 手稲本町商店街 ■■
◆軽川(がるがわ)から手稲に
「軽川街道まつり」

「軽川街道まつり」
 明治の開拓史の時代から手稲は交通の要所として発展を続けてきました。手稲本町地区周辺はかつて「軽川」と呼ばれていました。軽川の名前の由来は、手稲地区に流れる軽川が語源とされています。この川は、渇水期になるとよく枯れてしまうので、始めは涸川(かるかわ)とよばれていました。それが後になまって「がるがわ」と呼ばれたのが定説になっています。
  大正から昭和の初期には、軽川(現在の手稲本町)と石狩の花岬(ばんなぐろ)の間を馬車鉄道の「軽川馬鉄」が走っていました。道路の整備があまり進んでいなかったころ、馬車鉄道は札幌や小樽からの物資輸送に大いに活用されていました。写真左上は「軽川街道まつり」で運行された馬車鉄道の様子です。 軽川が大きく発展するきっかけとなったのが、明治13年の札幌〜手宮間の鉄道の開通と、それに続く明治14年の軽川停車場の設置でした。

■写真左下「札幌街並み今・昔」より
手稲駅の様子

<昭和52年の手稲駅の様子

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◆街のひろがり
当時の様子

昭和42年
手稲本町2条2丁目付近の様子
 明治の終わりごろ、軽川街道には商店が並び活気を見せていました。当時は、手稲山から木材が伐採され全て軽川駅から運び出されていました。そのため軽川には、木材を運搬する人、荷物の積み降ろしをする人夫などが集まったそうです。人が集まる所には店屋がたち始めました。飲み屋や宿屋も店を構え景気もよかったそうです。その面影は現在でもこの手稲本町商店街の街並みから感じ取ることができます。

■写真左「札幌街並み今・昔」より

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◆手稲本町近年行事の様子
「がる川どじょうまつり」

「がる川どじょうまつり」
現在の石狩手稲通り下に軽川が流れています。地上に軽川がある頃は、子供たちが川遊びをしていたそうです。毎年9月に開催される「がる川どじょうまつり」でささやかながらこの川を路上で再現しています。
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