さっぽろわくわく商店街


由来・日因縁・ミニヒストリー


商店街の歴史をシリーズでお届けいたします
■■ 第1回 狸小路商店街 ■■
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明治14年頃の札幌の街並み。南1条東3丁目付近より西を望む。
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大正7年頃の狸小路4丁目。五重の塔はサクラビヤホール、左側は第一神田館。(共に大正11年焼失)
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大正時代の狸小路2丁目。横断街路灯が見える。
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昭和初期(昭和13年以降)、狸小路3丁目の夜景。鈴蘭灯の上にネオンが取りつけられ、その輝きは市民を一層魅了した。
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戦後復活した鈴蘭灯とネオンが美しい狸小路6丁目の夜景。昭和20年代後半〜30年代前半。
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センセーショナルに登場した初代アーケード。各丁目ごとにデザインが異なり、個性を競い合った。(写真は狸小路6丁目)
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買物客でにぎわう狸小路4丁目。屋内と同じようにお買物が楽しめるアーケードは大きな魅力となった。
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完成間も無いアーケードのわきに、道内初の大型共同店舗、サンデパートが建設中。(狸小路3丁目、昭和36年ごろ)
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昭和57年に完成した現在の2代目アーケード。国道部分を除き1〜6丁目間は連続している。(写真は夜の狸小路3丁目
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平日にもかかわらず多勢のお客様でにぎわう。(写真は午後の狸小路3丁目)
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昨年(平成14年)アーケード大改装を実施。天板・電機設備の改修、光ケーブルと無線による商店街LANの構築、LED掲示板(写真)、防犯カメラ等が整備された。
●生い立ち・歩み

狸小路の発祥は、明治政府が「北海道開拓使」を札幌に置いた頃、現在の狸小路2丁目・3丁目あたりに商家や飲食店が建ち並び始め、その一角が「狸小路」と呼ばれるようになった明治6年頃にさかのぼります。明治18年、札幌初の勧工場(今で言うところのデパート的な施設)「第一勧工場」が南2条西3丁目に建ち、その後相次いで勧工場が登場し、明治時代の狸小路の代名詞となりました。

大正5年には、狸小路3丁目の3ヶ所に横断街灯が設置され、その後(昭和2年)狸小路5丁目をかわきりに、各丁競って「鈴蘭灯」が設置され、狸小路の新しい「顔」となりました。また、昭和11年には5丁目に初めてネオン8基が設置され続いて2〜6丁目に鈴蘭型ネオンが揃いました。

しかし、昭和12年の日華事変勃発以降、戦火の拡大により太平洋戦争へと傾斜して行くにつれ、狸小路のシンボルであった鈴蘭灯も応召され、商店街自体幾多の岐路に直面しました。戦火が収まり、間も無くの昭和24年には鈴蘭灯も復活し、徐々に戦前の華やかさが復活していきました。鈴蘭灯復活の同じ年に今でも年2回の風物詩となっている「現金つかみどり」が、歳末の大売出しとして行なわれました。(最初は百円札、翌年から千円札)

鈴蘭灯に続く狸小路の顔となった全蓋アーケードは、昭和33年に狸小路3丁目に設置されたのを初めとして、昭和35年の狸小路2丁目の完成をもって、狸小路1丁目〜7丁目の街路が屋根付きとなり「横のデパート」と呼ばれました。更に、昭和57年には2代目となる現在のアーケードとカラー舗装が、狸小路1丁目〜6丁目に設置され、国道部分を除き、交差する道路部分も屋根続き〜ロングアーケード〜となりました。昨年には2代目アーケード完成後20年を迎え大掛かりな改修及び魅力アップがはかられました。

更に昨年(平成14年)は、数年前より検討していた「商店街サロン」構想を実現すべく、狸小路4丁目に土地家屋を取得しました。3年後を目途に市民の方々と協働利用を目指した建築物を目指して準備中です。

狸小路はハードの先進性のみならず、組織化〜団結〜に対しても大変積極的で、早くも大正6年には、狸小路3丁目の有志が集い「志有会」を結成し、狸小路の組織化のさきがけとなりました。大正11年には狸小路4丁目会も結成され、その後も丁内の組織化が活発に行なわれました。大正14年には狸小路2〜4丁目の3丁間で「狸小路連合会」が創立し、各丁内会連合化のさきがけとなりました。

また、この年狸小路2〜4丁目の舗装道路完成(当時はまだまだ舗装は珍しかった)を記念し、連合会主催の「祝賀福引大売出し」を実施し、これが狸小路初の連合大売出しとなりました。この後、昭和12年には札幌狸小路商店街商業組合が設立され、狸小路1〜6丁目が加入し、連合会は発展的解消を致しました。

昭和16年頃より戦火が徐々に激しさを増し、組合活動もままならなくなり、昭和19年には法改正により上記商業組合は解散され、商工組合設立準備を始めますが法の適用はありませんでした。昭和22年には札幌狸小路商店街商業協同組合が、商業組合解散より3年4ヶ月の時間を経て設立されました。昭和25年の中小企業組合法の施行により改組し、翌昭和26年に新たに狸小路7丁目8丁目を加え、札幌狸小路商店街商業協同組合を再結成しました。同年、狸小路全丁は通行規制認可により、車の通行が禁止となり、現在の歩行者天国〜モールのさきがけとなりました。昭和37年振興組合法施工に伴い、商業協同組合から札幌狸小路商店街振興組合に改組し現在に至っております。(現在は1〜7丁目が加入)

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●なぜ「狸小路」?

狸小路って変った名前ですよね。正確な起源はわかりませんが、狸小路発祥を語るとき常に引用される 明治24年発行の『札幌繁昌記』の一説をご紹介します。

「狸小路とは綽名なり。 創成川の西側、と南三条との間をいう。 このところ飲食店とて、西二丁目三丁目にて両側に軒を並べて四十余の角行燈影暗きあたり、一種異体の怪物、無尻を着る下卑体のもの、唐桟の娘、黒チリ一ツ紋の令嬢的もの無りょ百三、四十匹、各衣装なりに身体をこしらい、夜な夜な真面目に白い手をすくっと伸ばして、北海道の金庫でも建てようと思い込み、故郷を威張ってはるばる来た大の男子等を巧みにいけどり、財布の底を叩かせて、ハテ怪有な動物かな、その化かし方狸よりも上手なれば、人々かくは『狸小路』なんよべるなり。」

あと、明治初期の事ですから、本当に狸が生息していたから狸小路と呼ばれた、等とも言われておりますが本当のところは…。

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●新し物好き

前述の通り、街路灯・舗装道路・アーケード・カラー舗装と、なにかにつけ新しい物にチャレンジする姿勢が狸小路にはあります。インターネット事業も、商店街としては比較的早い平成8年より実施し、翌年には自前のインターネット用サーバーと独自ドメイン(tanukikoji.or.jp)でウェブも運用しています。

また、昨年のアーケード改修事業においては、アーケード内に光ファイバー(1GBbps)と無線LANによる商店街内LANを構築し、そのLANの端末としてのLED掲示板(2面)・防犯カメラ(14台)・IP電話/高速インターネット接続(各個店向)が運用されています。

古くは、札幌に電話交換局が設置された明治22年、この時すぐに電話を設置したのも狸小路の商人でしたし、札幌にラジオ局が開局になるやいなや「狸小路お買物案内」を流し、テレビ放送が始まるとすぐに宣伝広告を行なったりもしました。また、名物の「現金つかみどり」も、百円札から始めたのは当初百円札が最高額紙幣であったためで、千円札が発行されれば千円札のつかみどり、一万円札が発行されればすぐに一万円札のつかみどりという具合です。

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●現在の狸小路

中心市街地の中でも、狸小路は比較的大きなビルが少なく、個性的な路面店が多いのが特徴です。また、創業100年を超える老舗から新しいお店までが軒を並べる、バラエティに富んだ商店街です。

更に、「大売出し〜現金つかみどり」「狸まつり」を初め「初狸祭〜初売り」「積丹浜鍋〜さっぽろ雪まつり協賛」等、販促・催事ももりだくさんの商店街です。

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